葬儀・終活

大切な家族が余命宣告を受けたら?延命治療の選択と遺族の心のケア

医師からの説明私は、精神保健保健福祉士と介護福祉士の国家資格をもっています。

その資格のおかげで、父の余命宣告をうけた際、現実を受け入れることができない母と姉の対応に困ることはありませんでした。

父の余命宣告をうけたその瞬間から、母は泣き叫び、何も考えることができないほど精神的に落ち込み、姉はショックのあまりに泣きくずれ、そのまま倒れてしましまいた。

言い方は残酷なのですが、闘病してきた父は亡くなると苦痛から解放されますが、家族はこれまでの自分たちが故人に対して行ったことなどを振り返り、個人差はありますが、悲しみや後悔などが少なからず残ります。

もし医師から、あなたの大切な人の余命宣告を受けた時、

あなたは、泣き崩れ憔悴したまま時を過ごしますか?

それとも、悲しむ家族を支える役割にまわりますか?

あなたは家族に何をしてあげることができるのでしょう。

 

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余命宣告の種類

スマホを片手に画面を見る女性の姿

― 大切な人の余命宣告 ―

それは予期せぬ場面で突然告げられることがあります。

私の父は、30年以上も闘病生活を送っていました。

その長い年月の中で体調を崩すこともあり、入退院を繰り返すことも少なくありませんでした。

そのため、最後の入院生活も死が間近に迫っているなんて、家族はもちろん父も想像もしていませんでした。

時が経てばいつものように自宅に戻ることができると信じていました。

しかし、本当に余命宣告は突然です。

昨日まで微熱はあったものの元気で話をしていたのに、その一晩の間に一体何が行ったのか理解ができないくらい突然として余命宣告をうけることになりました。

余命宣告は、自宅にかかった一本の電話で始まりました。

病院の看護師さんから「先生から、ご家族の方にお話があります。」と言われ、母のみではなく娘2人も同席してほしいとの内容でした。

今の現状であれば、延命治療をしなければ2週間、してもそれ以上延びるかどうか、延びても1か月、ご家族の方でどうするか決めてくださいと言われました。

この瞬間から、家族に父の人生の終わりについて判断をゆだねられるのです。

余命宣告は、大きく2通りの方法で宣告されます。

  • 家族だけが先に告げられる場合
  • 本人と家族が同時に告げられる場合

いずれにせよ、前を向いていけるように一緒に考えていきましょう。

 

家族だけが先に余命宣告された場合

 家族での話し合いが重要

本人は余命宣告を受けておらず、家族が先に宣告を受けた場合「余命を本人に伝えるか」について、とても悩むでしょう。

「伝える」「伝えない」どちらの選択も、一緒に人生を歩んできた家族だけではなく、親戚にも相談する必要があります。

特に親戚にも相談することを検討しなければならないのは、本人が高齢である場合です。

兄弟など近親者に相談せず事後報告すると、後々もめる原因になる可能性があるからです。

 

話し合いで注意したいこと

誰もが大切な人の余命宣告を受けた場合「自分は患者にこうしてあげたい」という気持ちがあると思います。

しかし、その自分の思いを先に述べてしまうと、他の人が違う意見を言いずらくなる可能性もあります。

こんな人は注意

  • 自分は言い方(話し方)がキツい方だ。
  • 親族間の中で影響力が強い立場だ。

と思う方は、少し意識してみると良いかもしれません。

また、一度口に出してしまうと、他の人の意見をなかなか受け入れることができにくくなる場合もあります。

まずは、自分の意見を言わずに他の人の意見を聞き、自分の心の中で冷静に考えてください。

結論は2つしかありません。

  • 本人に余命を伝える
  • 本人には余命を伝えない

結論を導くまでには何通りもの考えや意見があります。

その意見や考えを踏まえたうえで、家族としての自分の意見を述べてください。

意見が対立することは十分に考えられます。

それほどみなが真剣に本人のことを考えているからです。大切に思っているからです。

しかし、言い争いは決して良い方向へ導きません。

そこで、冷静にその場を見守り、意見を集約する立場にたてる存在が非常に重要となります。

  • 感情に流されない。
  • 冷静な立場をとる。

非常に難しいのですが、後々こうした角度から物事を捉える人の存在が大変重要となるはずです。

 

本人と家族が同時に余命宣告をうけた場合

 余命宣告直後に注意すること

誰よりもショックを受けているのは本人です。

そして、家族も同じショックを受けます。

こうした時に、本人に何と言葉をかけてよいのか分からないことが多いのではないでしょうか。

まずは、安易に「大丈夫」「がんばろう」などと言わないでください。

言葉はとても大切で勇気を与えてくれます。

しかし、まずはそっと寄り添い、支える対応をとることは終末期にはとても大切なことと言えます。

 

本人へのサポートは統一する

本人のサポートは各々で行うのではなく、対応を統一する必要があります。

本人も家族も頭で冷静を装うように努力しても心は恐怖や不安に満ち溢れています。

そうした時に、やはり支える側の対応を統一して、ともにサポートをするという意識をもつことで、本人も家族もお互いに支えあうことができるはずです。

こうした状況下では、誰もが下を向いてしまいマイナスな方向で物事を考えてしまうのは当然のことですが、そんな中で誰か一人でも現実を見据え、前を向く存在が必要です。

自分が前を向く存在になれるなら、余命宣告をうけた本人も次第に前を向いていくことができるかもしれません。

 

自分が前を向く存在でいられるなら

車いすの患者にカーネーションを手渡す看護婦

家族の中で、もし自分が前を向いていく存在でいたいと願うなら、何ができるでしょうか。

きっと100人いれば100通りの「できること」が存在します。

ここでまず「前を向こう」と思った時に、最初にできることをお伝えします。

意識すればできること

  • 本人はもちろん家族の心の支え
  • 付き添う家族へのサポート
  • たくさんの笑顔を届けるキモチ

少し精神論のようなことに偏っているかもしれません。それでも、とても大切なことです。

残りの人生を悲観して、家族が泣いている姿を見るのは患者本人にとってこれほどつらいことはありません。

時に恐怖や不安に押しつぶされそうになる時があります。

本人も家族も、そして自分も…。

そんな時こそ言葉ではなく普段通りの笑顔です。

表情は、誰もが容易に読み取ります。

病院や本人に付きっきりになる家族にとっては、身体的にも精神的につらいことがありますが、そうした場合は、無理にでも交代して休んでもらう時間を積極的に取り入れましょう。

ただし、その休息中に本人の容態が悪化することも少なくありませんので、万が一の時を考慮しておくことも必要です。

 

【実例】私と家族の決断の先にあったもの

公園で仲良く歩く老夫婦の散歩の姿父の延命治療の判断は私を含め家族にゆだねられました。

余命を父に伝えるか、伝えないかの選択は、想像以上に家族で真剣に考えるべき重要なことで、とても大きな覚悟が必要でした。

どちらの選択にしろ、「もう一回やり直そう」ということはできません。

私たち家族の場合は、余命宣告について、父に伝えないということで一致しました。

しかし、延命治療については意見が分かれました。

延命治療をしたい母、これだけ今まで頑張った父に延命治療による苦痛を伴わせたくない姉と私。

ここで、どうするのか、考える時間は数日しかありません。

母も姉も喧嘩になりパニックに陥っている状況です。

結果、私は自分の意見を変え、母の希望通り延命治療をすることで姉を説得しました。

なぜ、私は意見を変えたと思いますか。

  • 父に余命を宣告しない以上、できるだけ「生きる」ということに視点を置き換えた。
  • 人生の半分以上、父は闘病、母は介護。介護を全力で行ってきた母の気持ちを優先させた。
  • 母に後悔をさせたくなかった。

余命宣告を受けて臨終を迎えた場合、どれだけ悩んで選択しても、「これでよかったのか」、「自分の判断は間違っていなかったのか」と後悔と不安との戦いに悩みます。

思い悩むのは、特に介護の中心を担ってきた方がそうなる傾向が強いです。

そうした場合、それまでの介護を労うと同時に、その方のこころのケアがとても重要になります。

私の意見変更は、近い将来、父を亡くす母のこころのケアに重点をおいてのものだったのです。

父の余命に関しては、主治医にお任せする以外、私たちが父の病気を治すことはできないため、もしかしたら理解されにくいのかもしれませんが、少し先を見た考えからきたものでした。

 

余命の受け止め方は家族の接し方で変わる

ここまでの話の中で、きっと父の尊厳はどうなっていると感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

はい、そのように思われた方は、すばらしいと思います。これは私の本心です。

一番つらいのは父です。余命宣告をせずとも、延命治療により、父は声を失いました。

その治療に関しては、もちろん父に同意を得ることが条件です。

父が拒否すれば延命治療を望んだ母も納得ができます。

しかし、父は声よりも命を選びました。

―― 父は、明らかに気づいていました。

装置を取り付ける直前の最後の父の言葉は、

「ありがとな。」

一番強い心を持っていたのは、父でした。

ここからは家族が笑顔で接することで、父の表情は一変していきました。

悲しそうな顔から笑顔も見られるようになり、その笑顔に母も笑顔で過ごすことができました。

父への家族ができるケアは、笑顔です。

私は、人は何かひとつの機能を失うと他のもので補おうとすることを職業柄みてきました。

父は、声を失った分、目で相手の表情を読み取り、コミュニケーションを図ろうとするため、家族の表情が病状を表していると感じます。

自然な笑顔が出るように母に対しては、前向きな言葉を毎日伝えました。

決して余命をカウントダウンしないように。

 

最期の時間(立ち合い)と遺族の心のケア

並ぶ千羽鶴3羽

余命を宣告されていても、医師は何日の何時と予測することができません。

余命宣告よりも長く頑張ってくれる場合もあれば、急な容態の悪化により最期を迎えるかもしれません。

父が亡くなった後、母は泣き崩れ、姉は余命宣告の時のように倒れてしまいました。

しかし、悲しみにくれる間もなく葬儀の段取りをしなければいけないのが現実です。

とにかく母には、これまで父が闘病しながらも楽しく生活を送れたのは母のおかげであることを伝えます。

また息子がいないため、長女の姉がこれまで父に付き添う母に代わり家事を行い、幼かった私の世話を一生懸命してくれたことに対しても感謝の気持ちを伝えました。

本人だけではなく、家族全員が闘病生活を送っていたのです。

ここで悲しみにくれる母、姉、そして父に対して私ができることは、葬儀を執り行うことです。

悲しみを我慢してでも、これからの家族を支える存在が1人は必要です。

遺族の心のケアは、今だけをみるものではなく、少し先をみて行うことがとても大切です。

実際に、病院に入院している場合、病院に一緒に寝泊まりしていなければ、最後に立ち会うことができないことも非常に多いのが現状です。

もし、大切な人の最期に立ち会うことができなかったとしても、自分を責めないください。

そして、立ち会うことができたなら、その時間を大切に過ごして下さい。

 

臨終後の聴力機能諸説

こんな話を聞いたことがあります。

「人は亡くなっても、聴力だけは最後まで機能している。亡くなった数分後までは、あなたの声が聞こえている」

これには、実際に亡くなった方が「聞こえている」と反応するわけではありませんので、いろいろな考えや意見、諸説があるようです。

海外では亡くなる直前まで体の震えが止まらなかった方が好きな音楽をかけた瞬間、震えがとまり、笑みを浮かべてその後亡くなったという話も存在しています。

現在、日本の医学においての死の定義は、

  • 心停止
  • 呼吸停止
  • 対光反射の消失(瞳孔が開いたまま)

とされています。

心臓が停止した直後は、まだ脳に血液が流れていることから聴力をつかさどる細胞は数分生きているといったことが根拠として、死後数分間は聴力が機能していると言われるのだと思われます。

あくまでも解明されているものではないのですが、これを少しでも気に留めている家族にとっては、この数分間はとても大切な時間になると思います。

 

「遺族の心のケア」まとめ

余命宣告を受けると言うこと自体、あまり経験のないことと思います。

その時にどんな対応をしようと何が正解で、何が不正解ということは決してありません。

その時間をいかに、みなで有意義に過ごすか、残された時間をどのように過ごせたか、それが大切なのだと思います。

できれば、許されるならば大切な人を失いたくありません。しかし、いつかは別れが訪れます。

あと何日、あと何か月と余命を宣告された時、今の自分に何ができるのか、考えたことによって決して後悔は残りません。

笑顔でそして前を向いて、一日一日を大切に過ごしていってほしいです。

私は、医師から余命宣告をしてもらい、良かったと感じています。

  • 残された時間をいかに楽しく過ごすか、大切にするかを考えることができた。
  • 大切な母と姉(遺族)の心のケアにむけて、準備ができた。
  • 家族の一人一人の状況をみて、自分がすべき役割を明確にすることができた。

医者でもなく専門職種でもない場合、接し方に迷うこともあります。当然です。

もし、ご家族でどうしても悲しみから立ち直れない、日常生活が悲しみにより送ることができない場合は、無理せずに病院へ受診してください。

精神保健福祉士と介護福祉士の資格や仕事上の経験から、自分が前を向く存在になれるように何ができるか考え、行動にうつした気持ちをまとめてみました。

何かのきっかけになることを願います。

大切な方と、大切な時間を過ごせますように。

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